近代 ヨーロッパ 【<フランス革命>の授業のために】

■戦後しばらくの間、フランス革命は、世界史の中で大きな位置を占めていました。多くの学者が、フランス革命を典型的な市民革命(ブルジョワ革命)と見ていたからです。現在からみれば、そこには、やはり「ヨーロッパ中心史観」があったと思われます。日本史の方々も、そのような見方にとらわれていて、明治維新フランス革命に比べて「不十分なブルジョワ革命」と考えていたのです。

■また、新たなフランス革命史研究(心性や革命祭典が注目されました)が、フランス革命200周年に向けた時期に盛んになりました。政治・経済史ではなく、心性を組み込んだ総合史を目指した点で、その研究成果は今も色あせていないと思います。

■しかし、現在はどうでしょうか? 一時は資料集に革命祭典の絵なども載っていたのですが、今はあまり見なくなりました。ジャコバン独裁という「劇薬」を肯定することができなかったためもあるでしょう、フランス革命は相対化されました。広く国民国家形成史の中に位置付けられるようになったと言ってもいいと思います。

フランス革命の相対化は、当然の流れであったでしょう。ただ、その結果、高校の授業では、フランス革命をとらえる視点が不確かになったのではないでしょうか? 革命のダイナミズムをとらえ切れずに事件の羅列と化す傾向も出て来ているのではないでしょうか?

フランス革命についてはたくさんの論点があり、しかも錯綜しています。そこで今回は、「現代までのパースペクティヴを持った授業」という観点から、2つにしぼって述べたいと思います。

1 19世紀までの長いスパンでフランス革命を考える。

フランス革命単独や「フランス革命とナポレオン」という枠組みでは考えないことが大切だと思います。「19世紀末の共和政確定までの試行錯誤の始まり」と考えたほうが適切ですし、そのほうがフランス近代史全体を理解しやすくなります。

◆三色旗を国旗として制定したのも、「ラ・マルセイエーズ」を国歌として制定したのも、19世紀末の第三共和政期です。

「試行錯誤」という語に、否定的な意味は含めていません。フランク王国成立からフランス革命まで1,300年、カペー朝成立から数えても800年の歳月が流れています。王政や帝政を望むのも、当然だったでしょう。しかし、たくさんの血を流しながらも、フランス人は自力で第三共和政を選択したのです。フランス革命以後の100年を、フランス人の苦闘の歴史として伝えたいと考えています。

なお、日本人は一般に(今の高校生も同じです)、「共和政」という語になじみがありません。そのため、世界史における政体の理解が不十分になりがちです。それを避けるため、まずローマ史で徹底して教え、クロムウェル独裁期の授業で復習させています。

2 「自由・平等・友愛」という標語を取り上げ、現代の課題とリンクさせる。

フランス革命以後の100年を理解しようとする時、この標語は重要なものだと思います。しかし、なぜか軽んじられています。また残念ながら、この標語が「世界人権宣言」に使われたことも、忘れられています。

◆この標語の理解の中で、「自由の女神」について伝えることもできます。「自由の女神」という表象がアメリカで生まれたと誤解している生徒もいますので。

◇以前、ピンチヒッターで、ある進学校の3年生の授業を秋から担当したことがありました。その時、私は愕然としました。生徒たちのだれもこの標語を知らなかったからです。
 しかし、それは、私たちの世代の反応に過ぎなかったのでしょう。教科書にも資料集にも用語集にも、この標語は載っていないのです。その理由はよくわかりませんが、「友愛」の扱いの難しさによるのかも知れません。

◆したがって、授業でこの標語を取り上げるということは、結構チャレンジングなことになります。

◆「自由・平等」は、啓蒙思想の果実ともいうべきことばで、「フランス人権宣言」で使用されています。もちろん、「アメリカ独立宣言」でも使われていました。

◆では、「友愛」は? 「友愛」という語は、革命当初からではなく、1793年から使われたということです。激動の連続の中で、「自由・平等」だけでは不十分と考えられたのでしょう。また、1793年は、ジャコバン政権のもとで「非キリスト教化」が頂点に達した時期でもありました。キリスト教の道徳に代わる徳目として掲げられたのだと考えられます。

フランス革命における「非キリスト教化」の試み=キリスト教的世界観からの脱却という文脈は重要だと思います。その文脈から、革命暦メートル法も理解できます。ナポレオン以降揺り戻しがありますが、キリスト教をめぐる議論は、20世紀初頭の「政教分離」(ライシテ)で一応の決着を見たのでした。(この歴史を踏まえて、20世紀後半の「スカーフ論争」も、現在の「ブルキニ論争」も考えなければなりません。)

◆1と関連しますが、この3つの語は19世紀を通じて定着しました。そして、フランス共和国の標語となりました。フランス革命の精神と同時にフランス革命以来の苦闘の歴史が、この標語に表れているのです。現在も、この標語は、フランスの公共施設に掲げられていますし、フランスで製造できるユーロ・コインにも刻まれています。

◆「標語は男性中心」という批判もあります。フランス革命中にグージュが現れたにもかかわらず、フランスにおける女性参政権の実現は1944年でした。また、第三共和政以降のフランスも帝国主義国家であったことは、まぎれもない事実です。 

◆「理想と現実」というタームに逃げ込むことは容易ですが、カントの『永遠平和のために』を無視することができないように、「自由、平等、友愛」を冷笑することはできないでしょう。第二次世界大戦直後、「自由、平等、友愛」は、「世界人権宣言」(1948年)の第1条に盛り込まれました。これらの語は、一定の普遍性を持つようになったのです。

◆シリア内戦(奇しくもシリアは第一次世界大戦後フランスが支配したところでした)をはじめ、世界は今もなお多くの苦難と矛盾に満ちています。

◆多分、フランス革命は未完なのです。

自由や平等や理性は、フランス革命中から女神として表現されました。それぞれが女性名詞だっただけでなく、「父なる国王」に対抗する意味があったとも言われます。「自由の女神」という表象が確定するのは、七月革命期になります。生徒たちには、ドラクロワの「民衆をみちびく自由の女神」を、まずフランス革命の授業で見てもらいます。19世紀まで視野に入れてもらうというねらいもあります。

「フラテルニテ」の訳語として「博愛」を使うのは、適切ではありません。「博愛」という語には、キリスト教的な慈善の意味が含まれています(明治時代からの訳語です)。しかし、「フラテルニテ」は「非キリスト教化」の流れの中で登場した語なのです。