総合 【 どう考えるべきか、「トランプ大統領」 】
◆アメリカ大統領選挙[2016/11/8]におけるトランプ勝利は、世界に大きな衝撃を与えました。
◆世界史を学んできた者としてこの事態をどう受けとめればいいのか、いろいろ考えさせられました。
◆これから述べるのは、結果判明から5日という時点での、暫定的な、いくつかの視点です。素人の不十分な分析であることは承知していますが、お読みいただければありがたいです。
◆経済上の視点は省いてありますので、若干述べます。インフラ整備は支持されるでしょう(かつてオバマが提案し共和党が反対したことですが)。減税は、労働者層よりも、大企業と富裕層に最大の恩恵をもたらすでしょう。ただこれらの政策は、どの程度実行されるのでしょうか? というのは、アメリカ政府の債務は増加している最中だからです。また、輸入品への高関税に本当に舵を切れば、当然物価が上昇し、庶民の生活を圧迫するでしょう。中国をはじめとした新興国経済にも打撃を与えます。
1 人種間の分断なのか
(1)人種による投票行動の違いは、やはりあったようです。CNNの出口調査によれば、人種別の投票先は次の通りでした。
白人 トランプに投票した人 58% クリントンに投票した人 37%
非白人 トランプに投票した人 21% クリントンに投票した人 74%
(2)同じ出口調査の、人種と性別を組み合わせた投票先は、次の通りです。
白人男性でトランプに投票した人 63%
白人女性でトランプに投票した人 53%
※Brexitの時と同様、世代間の違いもありました(若者の多くはクリントン支持)。白人有権者の間の教育格差に目を向ける論調もあります。
(3)アメリカ合衆国の人種構成を確認しておかなければなりません。ワシントンポストに載った統計[U.S. Population Projection to 2050]によれば、次の通りです(2015年時点)。ただ、ヒスパニックは本来は人種概念ではないので、注意が必要です。
白人 62.4%
ヒスパニック 17.7%
黒人 13.8%
アジア系 5.8%
※ヒスパニック系移民への排斥感情を煽るために、「白人は少数派になってしまう」などと言う人たちもいます。ただ、もしそうなるとしても、それはかなり先のことです。この統計によれば、2050年時点で、白人55%、ヒスパニック23%と予想されています。なお、黒人とアジア系は、微増です。
2 投票率はどうだったのか
驚くべきことですが、まったく報道がありません。
次のような数字を出しているブログがありました。[harryike.hatenablog.]
2016 48.6%
2012 54.9%(オバマ再選の時)
2008 57.1%(オバマ初当選の時、リーマン・ショックのさなかでした)
今回は60%ぐらいかと思っていたのですが……。
棄権した人が多かったということでしょう。選挙中の発言やテレビ討論にうんざりした人も少なくなかったのかも知れません。しかし、トランプ支持者は、もちろん棄権しませんでした。
この数字に基づけば、全有権者(約2億4500万人)の4分の1弱の支持で大統領が決まったことになります。
3 選挙制度はどうなのか
(1)総得票数では、クリントンがわずかに上回っていました。しかし、このような矛盾が起きないような制度に変えようという動きは、ほとんどないようです、
(2)候補者が各州に割り当てられた選挙人数を獲得して競うというしくみは、1830年代にできました(いわゆるジャクソニアン・デモクラシーの時代です)。それまでは、州議会で選挙人を選ぶというしくみでした。いずれにしても、「わが州はこの候補者を推す」ということを基本にしています。各州の権限を重視してきたアメリカならではの制度なのでしょう。
(3)選挙制度への問いは、「アメリカの民主主義は機能しているのか」という問いにほかなりません。次のような見解もあります。
「連邦レベルと州レベルで続く政治の機能不全は、アメリカの政治システムに深刻な問題が生じていることを、世界に強く印象づけた。」[スティーブン・ウォルト、「Newsweek日本版」2016.11.15]
(4)莫大な費用をかけた長期間の選挙が、「排外主義、保護主義、女性蔑視」の大統領選出という結果をもたらしたのでした。
※中国政府はアメリカ大統領選挙の騒ぎを、冷たく見ていたに違いありません。そして、「民主主義の脆弱性と一党独裁の優越性」を、再確認したことでしょう。
4 SNSはどういう役割をしたのか
(1)SNSを活用したのはオバマでした。今回の選挙では、SNSがトランプ陣営に有効に作用したようです。
(2)既成のメディアが軒並みクリントン支持を打ち出したにもかかわらず、白人有権者のかなりの部分は、それに左右されませんでした。影響力を持ったのは、RWN(ライト・ウィング・ニュース)などの右翼系メディアだったようです。[「読売新聞」(2016.11.13)の記事「SNS 悪意の増幅」]
5 歴史から見ると
(1)トランプ大統領の登場を、ジャクソン大統領(1928選出)の時に似ているとする見方があります。当時の北部・南部のエスタブリッシュメントに対抗して出馬し、独立時の13州以外からの初の大統領となりました。教養に乏しく粗野でしたが、下層大衆の支持を受けたということです。次の文章をご覧ください。
○入江昭の論文[「世界」2016.12月号、投票日前に書かれたものです]
○久保文明のインタビュー[「朝日新聞」2016.11.10]
※白人男子普通選挙が実現したのは、この時代でした。一方、「インディアン強制移住法」も、ジャクソンの時代です。
※ポピュリズムとも関連しますが、今回の選挙に「エリートへの反発」という面があったことは否定できないでしょう。オバマは演説は上手でしたが、庶民的な大統領とは言えませんでした。ヒラリー・クリントンも、もちろんエリートです。
(2)1920年代、移民への風当たりが強くなりました。1924年の移民法は、東欧・南欧からの移民を厳しく制限し、アジアからの移民は全面禁止としました。「WASP中心のアメリカ」を守ろうとする動きでした。90年後の同じような風潮ということだと思います。しかし、「WASP中心のアメリカ」はすでに過去のものです。トランプがメキシコ国境の壁を延長するとき、アメリカの何を守ろうとするのでしょうか?
(3)今後、選挙中に分裂した共和党がどうなっていくのか、敗れた民主党はどう立て直しを図るのか、伝統的な二大政党制に変化はないのか(今回もリバタリアン党や緑の党が候補者を立てていました)、注目されるところです。
6 ヨーロッパへの影響はあるのか
「トランプ現象」のうねりは、ヨーロッパにも影響を与えるというのが、大方の見方です。
年末から来年にかけて、つぎのような選挙が予定されています。
12月初め オーストリア大統領選挙
3月 オランダ総選挙
4月末頃 フランス大統領選挙
秋 ドイツ連邦議会選挙
※フランスの国民戦線・ルペンについては報道されていますが、半月後のオーストリア大統領選挙のことはほとんど報道されていません。これはやり直しとなった選挙で、自由党のホーファが当選すれば、EU全体に大きな影響を与えます。彼は「南部の国境に壁をつくって移民を入れない」と述べているからです。
※フランス、イタリア、ドイツなどの、移民反対・EU離脱を主張する政党は、選挙中からトランプ陣営と接触を重ねてきているようです。
※もし、インナー6の一角で変動があれば、Brexit以上の激震となります。EUは再編を免れないでしょう。
※東欧の保守化(ハンガリー、ポーランドなど)も心配されます。
7 日本の安全保障政策に影響はあるのか
まだ不確定な部分は多いと思いますが、影響が出てくると思います。
大転換が起こらないとも限りません。日本の防衛力の飛躍的増強を望む人たちは「渡りに船」と考えているはずです。
◆反トランプ・デモが続いていますが、アメリカ社会の分断は深まっているのでしょうか? 「南北戦争以来の分断」という悲観的見方もあります。
◆トランプの具体的な政策が修正される可能性はあるのでしょうか? アメリカ社会全体の底力に期待しています。