世界史 こんな「考える授業」をしてみました③【ラヴェンナとユスティニアヌス大帝のつながりは?】
■ビザンツ帝国(ユスティニアヌス大帝の時代までは「東ローマ帝国」と呼んだほうが適切ですが)の授業でラヴェンナを取り上げることは、標準的な授業ではないと思われるかも知れません。
■しかし、以下の文章を読んでいただければ、ごく標準的な内容(旧西ローマ帝国領の一部の回復)の確認であることがわかると思います。
★ユスティニアヌス大帝の授業で、サン=ヴィターレ聖堂のモザイク壁画を見ます(山川の「詳説世界史B」では134ページ)。
★この時、サン=ヴィターレ聖堂がラヴェンナにあることを確認させます。そのあと、次の質問に移ります。
【問い】「ラヴェンナはどこにある町ですか?」
※ラヴェンナは、「ピピンの寄進」で出てくる地名です。通常の授業では、ビザンツ帝国の少し前に取り上げますので、「イタリア(半島)」と答えられる生徒がいると思います。そして、メインの質問に入ります。
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【問い】「ユスティニアヌス大帝と妃のモザイク壁画が、どうしてラヴェンナの聖堂に描かれたのですか?」
※この問いに答えられれば、ユスティニアヌス大帝の事績を十分に理解していることになります。「ピピンの寄進」で考えようとすると、答えが出てきません。
※生徒たちが困っている場合は、もう一度、「ユスティニアヌス大帝時代の領土」の地図を確認して、考えさせます。
※「ユスティニアヌス大帝が東ゴート王国を滅ぼして、イタリア半島を取り戻したから」というのが、最も簡潔な答えになります。
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★ラヴェンナは東ゴート王国の都だったこと、ユスティニアヌス大帝はここをイタリア半島支配の拠点としたことを説明します。
★可能ならば、ビザンツ帝国がやがてイタリア半島を失ったこと、ラヴェンナはランゴバルド王国領になったことを付け加えます。こうして「ピピンの寄進」に接続して終われば、理想的だと思います。