世界史 こんな「考える授業」をしてみました ⑦【「インド=ヨーロッパ語」とイギリスのインド進出】

■毎年、オリエントの授業で、予備校の生徒たち(浪人生)に尋ねています。

 「インド=ヨーロッパ語系っていう語が出てきた時、なんか変な感じしなかった?」

 年度によって多少違いますが、3分の2の生徒は「変な感じがした」ということでした。

 「何が変だと思ったの?」ときいてみます。

 ある生徒は、「インドとヨーロッパが結びついてるのが……」と答えました。

 何も感じなかったという生徒たちも、「そういえば、そうだな」という顔をしていました。

■授業のスピードが速いためもあるのでしょう、率直な「変な感じ」は忘れられていきます。

■しかし、この「変な感じ」は大切です。授業では、高校の時の「変な感じ」を思い出してもらいながら、「なぜインド=ヨーロッパ語という言葉が生まれたのか」を考えています。


【問】

 「どうして、インドという語とヨーロッパという語が結びついて、一つの語になったのでしょう?」

 ◆こういう問いに慣れていない生徒たちは、戸惑います。

 ◆そこで、ヒントを出します。

 「じゃ、ヒントを出します。そこには、イギリスが関係しています。イギリスが、イギリス人が関係して、この語が生まれました。」

 ◆考える時間をとります。年度によって答えが出ない時もありますが、おおむね生徒たちは今までの知識を動員しながら答えを出そうとします。

 ◆「イギリスによるインド支配と関係があるみたい」というところまで考えられれば、解説に入っています。


【解答例と解説】

 ◆解答例の提示と解説は、上記の問いに続けて行った年と、疑問を大切に残したまま「イギリスによるインドの植民地化」で行った年があります。どちらがいいかは難しいのですが、後者のほうがベターかなと思っています。

 ◇解答例◇

 ≪プラッシーの戦い(1757)以降、イギリス(東インド会社)による植民地化が本格的に始まり、多くのイギリス人がインドへ赴いた。その中で、裁判所の判事として赴任したウィリアム=ジョーンズが、サンスクリット語とヨーロッパ諸語との共通性を発見した。18世紀末のことである。そこから、インド=ヨーロッパ語という概念が成立していった。≫

 ◆以上のことを理解してもらうために、サンスクリット語とヨーロッパ諸語の共通性がわかるプリントを用意しています。

 ◆プリントは、山崎利夫『悠久のインド』[ビジュアル版世界の歴史4、講談社]の41ページをもとに作らせていただいています。少し古い本ですが、インド=ヨーロッパ語という語をつくり出したウィリアム=ジョーンズについて、適切な説明が載っています。(図書館にはありますので、ぜひご覧ください。)

 ◆ウィリアム=ジョーンズがカルカッタサンスクリット語を学び始めたのは、1783年のことでした。授業では、マイソール戦争やマラーター戦争の頃であったことを知らせています。それにしても、イギリス人の知的関心の旺盛さには、驚かされます。

 ◆「植民地化の中での比較言語学の誕生」でこのテーマをまとめています。植民地化を肯定しないように気を付けながら、歴史の多面性を知ってもらうように努めています。

 ◆なお、カーリダーサの『シャクンタラー』を初めて英訳したのも、ウィリアム=ジョーンズです。