▶書評 【柄谷行人『哲学の起源』(その2)】

<通説との接ぎ木>
■序章では、前6世紀〜前5世紀に関する、通説的な倫理思想史(たとえばヤスパースの「世界史の基軸時代」が思い出される)が紹介され、それに柄谷の交換様式説が接ぎ木されている。倫理思想史そのものはやや古めかしく平板で、新しい視点が感じられない。それは、『哲学の起源』の2ヵ月前に出版された、坂口ふみの著作(1)の序章と比較してみるとよくわかる。坂口の文章は、ほぼ同じ時期を対象にしているが、より根源的なところから書かれている。
■宗教については、<ユダヤ教キリスト教>というヨーロッパ中心の発想の域を出ていない。したがって、善悪二元論最後の審判ユダヤ教に大きな影響を与えたゾロアスター教は、柄谷の視野に入って来ない。ゾロアスター教の強い倫理性に留意すべきだと思う。
■前6世紀〜前5世紀の哲学的思考の誕生は重要であるが、貨幣の登場(史上初めての鋳造貨幣は前7世紀に小アジアのリディアで造られた)とその一定の普及という、人間の思考と経済生活の進展に深く関係していると思われる。貨幣の象徴機能が社会に浸透していくなかで、初めて哲学的思考が生まれたのではないか。そして、その背景には、膨大な時間の中で培われた神話的思考があった。 哲学の起源という問題は、神話的思考(ミュートス)と哲学的思考(ロゴス)との関係・断絶という問題である。そこには、文学の発生という問題も含まれるであろう。神話的思考の中から、哲学的思考はどのように析出されていったのか? しかし柄谷には、そのような発想は見られない。
■なお、柄谷は「呪術は定住以後の氏族社会で発達した」(p.5)と述べているが、遊牧民にも狩猟民にも呪術の伝統は存在している。

イオニアとイソノミア>
■柄谷は「イオニアの諸都市がどのようなものであったかを示す史料はほとんどない」(p.43)と述べながら、イオニアとイソノミア(無支配)をためらいなく等号で結んでしまった。古代ギリシア史がよく検討されないまま、自説が展開されているのである。
■柄谷は、ギリシア本土のアテネ、スパルタなどのポリスとイオニアのポリスを区別し、「氏族的な諸制度が濃厚な社会」vs.「氏族的伝統を持たない植民社会」として対置することに懸命である。しかし、通常ミレトスなどは植民市には分類されないし、母市と植民市(その性格は一律ではない)を全く別のものとして論ずることはできない。ギリシア史家の桜井万里子は、次のように述べている。「ギリシア人の植民活動の前提としてポリスの成立があったのではなく、植民活動を含む大きな時代のうねりのなかの複数の要因が相互に作用し、結晶化した結果がポリスの成立であったとみられる。」(2) まして、『さまざまな共同体から出てきた植民者からなるイオニアでは、最初から「個人」が存在した。イオニアのポリスは、そのような個人の「社会契約」によって成立した。』(p.57)などとは言えないだろう。近代の個人や社会契約の概念を古代のイオニアに当てはめるのは、誤りである。
ハンナ・アーレントの言葉も、都合良く利用されている。柄谷は、アーレントの『革命について』の一節を引用しながら、自らの「イオニア=イソノミア」説を根拠づけようとした。(p.24)しかしアーレントは、イソノミアという語を、あくまで都市国家における平等を論じるなかで使用している。しかも、イオニアという語は全く使っていない。「イオニア=イソノミア」をアーレントから基礎づけることはできないのである。
■結局柄谷は、「イオニア=イソノミア」を歴史的に論証できていない。にもかかわらず、「イオニア=イソノミア」は『哲学の起源』を貫く概念となってしまった。「イソノミアとしてのイオニア」は、言わばユートピアの位置を占めることになったのである。文字通り「どこにもない場所」=「イソノミアとしてのイオニア」。
■そもそも、イソノミアとは何なのだろうか? 「無支配」という訳語は適切なのだろうか? 森一郎によれば(「書評空間」)、イソノミアという語は、イソン(等しい)とノモス(法、広くは人為的なもの)から成り立っている。[ノモスはフュシス(自然)と対比される語である。]したがって、アーレントの、イソノミアという語の使い方は正しい。イソノミアの原義は都市国家の「人為的公共空間における平等」=法的平等と言ってもいいはずである。「無支配」という訳語は、このことを等閑視させる働きを持っている。
■柄谷が引用した部分のすぐ後で、アーレントは次のように述べている。「イソノミアは平等を保障したが、それはすべての人が平等に生まれ平等につくられているからではなく、反対に、人は自然において平等ではなかったからである。そこで人為的な制度たる法すなわち法律によって人びとを平等にする都市国家を必要としたのであった。平等は、人びとが互いに私人としてではなく市民として会うこの特殊に政治的な領域にのみ存在した。」(3)
■またアーレントは、続けて次のようにも述べていた。「ヘロドトスが自由を無支配と同一視したとき、その論点は支配者自身は自由ではないというところにあった。他人を支配することによって、支配者は彼らとのあいだで本来なら自由でありえた同輩者たちから自ら去ったからである。いいかえれば、彼は政治的空間そのものを破壊したのであり、その結果、彼自身にとっても彼が支配した人びとにとっても、もはや自由は存在しないのである。」(4) 自由は、市民同士の法的平等と同義であると理解されている。
■以上のことから、古代ギリシアにおけるイソノミアは、「特定の者に権力が集中することを防ぐ努力」(5)そのもののことであったことがわかる。その努力はポリスという人為的公共空間(「人びとが互いに私人としてではなく市民として会う特殊に政治的な領域」)における法として表れたのである。「市民は政治と軍事を共同で担い、ポリスの命運を自分たちで決定した。」(6)
■イソノミアは都市国家の統治のあり方を示す語ではあっても、「統治の廃棄」を意味する語ではない。したがって、古代ギリシアにおいては、イソノミアと奴隷制は併存することになる。
■柄谷は「イオニアでは奴隷制生産に依拠することがなかった」(p.41)と述べ、イオニアを理想化してしまったが、これは誤りである。イオニアの反乱で大きな役割を果たしたポリスであるキオスは「島の対岸の小アジアに有していたペライア(海外領)で奴隷による穀物栽培をおこない」(7) 繁栄していた。そもそも、「植民の際に原住民を従属民の地位に陥れることもあったし、周辺の異民族から奴隷を調達することもしだいに頻繁になってゆく」(8) のである。
■なお、柄谷は、イソノミアが実現されていた例として、アイスランドと18世紀アメリカのタウンシップをあげているが、北アメリカのイギリス植民地について驚くような史実誤認が行われている。柄谷は次のように述べている。「(スペインやフランスの植民地では)労働力が不足すると、アフリカから奴隷が買い入れられた。一方、イギリスの植民地ではそのようなことが生じなかった。それはすでに市民革命(1648年、ピューリタン革命)があったからである。」(p.46)柄谷ほどの人がこのような誤りを平然と記しているのは、悲しいことである。北アメリカのヴァージニア植民地に、タバコ・プランテーションの労働力として黒人奴隷の導入が開始されたのは、1619年のことであった。ピューリタン革命と奴隷制の否定を結びつけるような論述は、論外としか言いようがない。

<自然哲学、プラトン
■いわゆる自然哲学についての柄谷の記述は、「イオニア=イソノミア(無支配)」にこだわっている以外は、あまり通説の範囲を出ていないのではないか。パルメニデスについては通説と異なる位置づけ(反ピタゴラス=反プラトン)を行っているが、果たして妥当性を持っているのかどうか。割合多くのページが割かれているが、納富信留のスリリングなパルメニデス読解(9) には及ばない。なお、「イオニア唯物論的思想」という表現が見られるが(p.154)、自然哲学者たちにおいて、物質と魂は截然と分かたれてはいなかった。
ギリシアにおける哲学の起源を論じながら、ロゴスにあまり言及がないのは、不思議である。「イソノミア」に執着するあまり、なぜイオニアからロゴスが生まれたかを、柄谷はほとんど述べていない。先に述べたように、ミュートス(話、神話)とロゴスの関係にこそ、哲学誕生の秘密があるように思われる。それは、パルメニデスが「ある」の思索を詩のかたちで述べたことにも関連する。また、柄谷は触れていないが、ヘラクレイトスには次のような言葉もある。「魂の際限を、君は歩いて行って発見することができないだろう、どんな道を進んで行ったにしてもだ。そんなに深いロゴスをそれは持っている。」(10) 強烈な印象を与える言葉である。この言葉をめぐる、坂口ふみの論考(11)は深い洞察に満ちていて、読む者をまさに哲学的思索の源へと誘ってくれる。
■柄谷の平板なプラトン批判(イデア論批判、哲人政治批判)は、何ら目新しいものではない。プラトン哲学が批判を受けながらも強力に生き続けてきたということ、そこにむしろ真の哲学的問題がある。プラトンイデア論を観念論として簡単に片付けられないのは、観念の強烈な磁場というものが存在するからである。
唯物論を標榜する柄谷の表面的なプラトン批判は、アイロニカルな結果をもたらしている。柄谷の「イソノミア」は、ほとんど、プラトン的なイデアと化してしまっているからである。「イソノミア」というイデアの世界に恋い焦がれる柄谷、と言っては言い過ぎだろうか。

ソクラテス
■柄谷は、古代ギリシアのポリス社会に則することなく、アテネを「政治的国家と市民社会の分裂」という近代的な(ヘーゲルマルクス的な)概念で分析するという誤りをおかしている。そして、驚くべきことに、ソクラテスまでもがイソノミア(無支配)と結びつけられていくのである。柄谷は、『ソクラテスの弁明』の中の「私人としてあることが必要なのでして、公人として行動すべきではないのです」という言葉を引きながら(p.184)、「ソクラテスがもたらしたのは、公人であることと私人であることの価値転倒である」(p.187)として、「ソクラテスが目指したのは、統治そのものの廃棄であり、イソノミア(無支配)である」(p.213)と結論づけている。しかも、批判を想定したのか、ソクラテスは自分では「そうと知らずに」「そうと意識することなしに」イオニア的思想を復活させたという論理を使っている。牽強付会と言うべきだろう。
ソクラテスは、「統治そのものの廃棄」を目指し、「私人として」死んだのではない。ソクラテスの生き方・思想とポリスという公共空間は、切り離すことができない。ソクラテスによれば、「社会的な規約(ノモス)にしたがい正義を尊重するという信念こそが各人の生き方にかかわる信念群の最も中核を構成している」(12) のである。しかし、ソクラテスの活動は困難を強いられた。ソクラテスが生きたのは、ペロポネソス戦争とその敗戦後の、ノモスの混乱期だったからである。ノモスの動揺の中で、なぜソクラテスは、アゴラという公共的な場に出かけ、執拗な対話を行ったのか? そこには、ポリスという人為的公共空間の蘇生を「魂への配慮」から行おうとする、ソクラテスの苦闘があった。ソクラテスのフィロソフィアとは、その苦闘のことにほかならない。ソクラテスが闘いを最後まで引き受け通したことを、その死は示している。
■三十人政権の専制政治とその崩壊・混乱期における、ソクラテスの「公人と私人」の問題については、次のような見方が適切であろう。「市民は法と一体となることで自由となるというギリシア的法思想を、ソクラテスも奉じていた。(中略)それがいかに正義の名の下でなされようと、国法に対する個々の市民の抵抗が許されるならば、それは国法そのものの破壊となるであろう。さらに、アテナイの国法はその市民に他のポリスへと移住する自由を認めている以上、こうした根源的な約束がそこで生きる市民と国法の間に実際存在するのだ、とソクラテスは考えた。ただし、国法と市民の一体性を強調しながら、ソクラテスには真の政治術(つまり魂の浄化)は、ポリスの公的な事柄に携わるよりも、むしろ個々の市民との私的な対話によって達成されるという、現実政治と徳(卓越性)の涵養とのあいだに緊張関係を見る考えがあった。」(13)
■さらに重要なのは、古代ギリシアにおける「公と私」を、近代の思考の枠組みで見てはならないという点である。桜井は、公的(デーモシオス)な領域と私的(イディオス)な領域のほかに「コイノス」の領域があったことを指摘し、「公が古代ギリシアではデーモシオスとコイノスの二種類あったこと」(14)に注意を促している。ソクラテスが行った「私的な対話」の場は、実はこの「コイノス」の領域であった。『「コイノス」の領域は、日常生活における様々な集合活動を行うグループが共有する領域でした。それは、市民だけでなく、在留外人や奴隷、女性など、アテナイに居住する人々が構成する生活の場、つまり、住民のあいだの多様な交流、コミュニケーションが実現していた空間だったのです。それは、政治的(ポリス的)空間でも、オイコス(家)に相当する空間でもありませんでした。ソクラテスが活動したのは、このようなコイノスの領域だったのです。』(15)ソクラテスのフィロソフィアはアゴラで行われたが、アゴラは「コイノス」という「公」の領域だったのである。柄谷がソクラテスを「イソノミア(無支配)」と結びつけて仮構してしまったことは、明らかであろう。

★柄谷は「哲学の起源」について、何を明らかにしたのだろうか? 残念ながら、「イソノミア」という語だけが、一人歩きしてしまった。逆説的なことに、『哲学の起源』は、「無支配」や「統治そのものの廃棄」に恋い焦がれることなく政治について考えることの重要性を、私たちに改めて教えている。私たちの現実は悲惨な出来事に満ちているが、求められているのは、デモクラシーから「イソノミア」へと逸れていく道ではなく、デモクラシーの困難のただなかでデモクラシーの希望を創り続けていく道である。

柄谷行人『哲学の起源』(岩波書店、2012)

注(1)坂口ふみ『ヘラクレイトスの仲間たち』(ぷねうま舎
 (2)桜井万里子「ポリスの時代」(桜井万里子編『ギリシア史』[山川出版社]所収)
 (3)ハンナ・アーレント『革命について』(志水速雄訳、ちくま学芸文庫
 (4)ハンナ・アーレント『革命について』
 (5)桜井万里子「ポリスの時代」
 (6)桜井万里子「ポリスの時代」
 (7)桜井万里子「ポリスの時代」
 (8)桜井万里子「ギリシアの光」(『中央公論社版世界の歴史5』所収)
 (9)納富信留パルメニデス」(神崎繁熊野純彦・鈴木泉編『西洋哲学史Ⅰ』[講談社選書メチエ]所収)
 (10)『初期ギリシア哲学者断片集』(山本光雄編訳、岩波書店) 
 (11)坂口ふみ「ヘラクレイトスの<個>のモチーフ」(『ヘラクレイトスの仲間たち』所収)
 (12)中畑正志「ソクラテスそしてプラトン」(神崎繁熊野純彦・鈴木泉編『西洋哲学史Ⅰ』[講談社選書メチエ]所収)
 (13)川出良枝・山岡龍一『西洋政治思想史』(岩波書店
 (14)桜井万里子『いまに生きる古代ギリシア』(NHK出版)
 (15)桜井万里子『いまに生きる古代ギリシア

関連テーマ2012-09-04 古代 地中海世界【イオニアの海辺で、哲学が生まれた】