<問いからつくる世界史の授業>(中世〜現代)【ベーメンってどこ?】

★今回は、生徒たちが理解しづらい地方を取り上げます。残念ながら、地理的関心が薄いいまま世界史を学んでいる生徒たちも、少なくありません。いままで、ベーメンという地方をよく理解できないまま受験に臨んだ生徒たちも、少なからずいたのではないでしょうか。

★授業は<オリジナル問題+解説(◆の部分)>で構成します。大事なことを確認させるための問題です。解説は、発展的内容を含んでいます。現代史まで関連させてみました。


問題

 中世から近代まで、ドイツ語でベーメンと呼ばれた地方は、現在のどこにあたるか。次の①〜④のうちから、適切なものを一つ選べ。

 ① チェコ西部
 ② スイス北部
 ③ ベルギー東部
 ④ クロアチア西部

 ※正解は①です。


◆「ドイツ語で」というところに注意させましょう。つまり、ドイツ語を話す人々によって(具体的には、11世紀以降、神聖ローマ帝国オーストリアによって)、長く支配されたため、ドイツ語でベーメンと呼ばれました[もともとのチェコ語ではチェヒ、英語ではボヘミア]。地図で確認させましょう。

ビザンツ帝国の学習の後の東ヨーロッパのところで、よく理解させることが大切です。ただ、教科書の構成はよくありません。ベーメンは、ビザンツ帝国の影響を受けた地域ではないのです。したがって、生徒たちの理解のためには、「ドイツ語でベーメンと呼ばれた地方」を強調しておく必要があります。また、後述の宗教・文字の理解が極めて重要です。

◆中心都市は、プラハです。厳密に言えば、「ベーメン」という地方名のとなりに「プラハ」と表記している地図は、混乱しています。プラハは、ドイツ語ではプラークだからです。しかし、プラークと表記している教科書・図表はありませんので、プラハを中心とした地方をベーメンと理解させましょう。[現状では、「地理の歴史的・文化的理解」もしくは「歴史の地理的・文化的理解」は、うまくいっていないと思います。]

ベーメンは、西スラヴ人ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人)の居住地域の中では、ドイツ文化の影響を最も強く受けた地方です。ドイツ人もたくさん移住しました。[この結果、20世紀半ばのズデーテン問題が生じました。また、20世紀初頭のプラハで、ユダヤカフカがドイツ語で小説を書きましたが、ここにも歴史的文化的状況がよく表れています。]

◆以上のことから、「ベーメンのフスはチェコ語で説教した」という文章を、理解できるようになるでしょう。フスには、チェコ人の民族的覚醒を促す意図もありました。また、三十年戦争の発端となった「ベーメンの新教徒の反乱」も、ドイツ人支配への抵抗という面を強く持っていました。しかし敗北し、その後もドイツ人支配が続きました。

第一次世界大戦チェコスロヴァキアが独立しましたが、その歴史的意義は極めて大きいものだったことがわかります。ドイツ語名で呼ぶ必然性はなくなりました。

◆なお、宗教と文字について触れておきます。ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、ハンガリー人(マジャール人)が、中世半ば以降、ラテン・キリスト教世界(ローマ・カトリック圏)に属してきたことは、たいへん重要です。つまり、広い意味での西欧文化圏に属し、文字もラテン・アルファベットを受容してきました。東ヨーロッパというより区分よりも、中央ヨーロッパという概念で理解すべきなのです。

◆このような文化的基盤を考えると、ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、ハンガリー人が20世紀後半ソ連圏に属したのは、一時的な、やむを得ざる選択だったのでしょう。ポズナニ暴動、ハンガリー事件、プラハの春、自主管理労組・連帯と並べてみれば、わかると思います。


こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】