<問いからつくる世界史の授業>(古代〜中世)【諸勢力・諸文化が交錯するシリア】
★内戦が続いているシリア(・アラブ共和国)が注目を集めていますが、前回の【ベーメン】に引き続き、生徒たちが理解しづらい地方を取り上げます。
★生徒たちは、アラム人、ダマスクスとあげれば、古代におけるシリアの重要性を思い出します。しかし、その後のシリアについては案外わからなくなってしまいます。今回は、広い意味のシリア地方(歴史的シリア)をとりあげます。問題は少し難易度を上げています。
★授業は、<問題+解説(◆の印がついた部分)>で構成します。
☆ 問題 ☆ [ プラスα ]
次のA〜Cは、すべてある地方で起きた出来事である。該当する地方名を、後の①〜④のうちから一つ選べ。
A 前13世紀、ヒッタイト王国とエジプト新王国がカデシュで戦った。
B 3世紀、ローマ皇帝ウァレリアヌスはエデッサでササン朝のシャープール1世に敗れた。
C 13世紀、マムルーク朝のスルタン・バイバルスは、アインジャールトで、フラグの部下が率いるモンゴル軍を撃退した。
※正解は③です。
◆今回の問題のシリアは、現在の「シリア(・アラブ共和国)」とは異なります。いわゆる「歴史的シリア」で、古代のシリア、フェニキア、パレスチナを指します。現在のトルコ南部も含みます(Bのエデッサやアンティオキアは、現在はトルコ領になります)。なお、Cのアインジャールト(この地名は高校世界史の範囲を越えていますが)は、パレスチナです。
◇[標準]のレベルの問題に近づけたい場合は、アラム人の交易活動かウマイヤ朝についてのの文章を一つ加え、ダマスクスという都市を明記すればよいと思います。
◆問題を解くことを通し、歴史的シリア地方について、次の点を理解してもらいたいと思います。
(1)古来、さまざまな勢力がぶつかる場所であったこと。
(2)文明の十字路的な位置にあり、文明のふるさとの一つになったこと。
(3)地理的には、シリア北部はメソポタミア北部と連続していること。
◆(1)に関しては、アレクサンドロス大王とダレイオス3世のイッソスの戦いも、シリア北部でした。さらに、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝とササン朝のホスロー1世の戦い(6世紀半ば)、ティムールとマムルーク朝の休戦協定(15世紀初め)などもあげることができます。
◆(2)に関連して、シリアを文化の面から概観してみます。まず、フェニキア文字・アラム文字という表音文字が成立したところでした。当然のことですが、ユダヤ教やキリスト教が成立したところでもあります。さらには、ヘレニズム文化(したがってギリシア語)が最も広まったところでもありました。[アラム語とイエスおよびギリシア語については、次のページをご覧ください。【➡http://d.hatena.ne.jp/whomoro/20151121/1448091554=イエスのことば・聖書の言語】]
◆次に、(2)をイスラーム教の伝播から見ておきます。「歴史的シリア」は、正統カリフ時代にイスラーム勢力が獲得したところであり、アラビア半島以外で最初にイスラーム教が広まった地方でもありました。「啓典の民」であるユダヤ教徒・キリスト教徒との共存が初めて成立した地方だったのです。このような歴史から、ダマスクスはウマイヤ朝の都になったのでした。
◆(3)に関して典型的なのは、アッシリア王国がメソポタミア北部からまずシリア地方に進出したことです。アッシリアの都ニネヴェは、現在のイラク北部・モスル付近にありました。
◆(3)からわかるのは、現在の国境線から過去の歴史を判断することはできないということです。また、現在のIS(イスラミック・ステイト・グループ)の動きの理解にも関連します。