古代 南アジア【カーリダーサの『シャクンタラー姫』】
★長編叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』と並ぶ、古典サンスクリット文学の傑作と言われるのが、カーリダーサの戯曲『シャクンタラー姫』である。
前6世紀頃、ヴェーダ語が文章語として洗練されて成立したのが、サンスクリット語であった。これ以降、バラモンの宗教・文化活動は、すべてサンスクリット語で行われた。ヒンドゥー教の規範集である『マヌ法典』も、サンスクリット語で書かれた。このような文化的土壌の中で、大乗仏典もサンスクリット語で書かれたのである。(なお、上座部仏典やジャイナ教典は、口語のプラークリット語で書かれた。)
カーリダーサの生涯は詳らかではないが、グプタ朝最盛期のチャンドラグプタ2世(位375〜414頃)の宮廷に仕えた詩人・劇作家であった。恐らく、詩文にたずさわる者に必要なあらゆる教養を積んだバラモンであった。カーリダーサという名は「シヴァ神の妃の下僕」という意味であるという。サンスクリット語が成立して約900年の歳月が流れており(『リグ・ヴェーダ』の成立からは1400年が経過していた)、グプタ朝期がインド古典文化の黄金時代と言われるのも、当然であろう。
カーリダーサの最高傑作は、戯曲であった。インドの戯曲は、アジアの文化の中では非常に早く成立した。(中国で元曲が成立するのは、『シャクンタラー姫』の900年後である。)インドにおける演劇の発祥は、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の暗唱者の身振り・歌舞にあったと言われる。2世紀には仏教劇も成立していた。『シャクンタラー姫』の台詞は、日常会話と美文調の韻文で構成されており、近代劇とはかなり異なる。カーリダーサの時代、劇場はなかった。王宮の祝典や宗教的行事の際、宮殿の中か社堂の境内で演じられた。舞台装置はほとんどなかったが、その代わり仕草や身振りが発達し、歌舞も用いられた。王侯・富豪に招かれる一座が各地を巡業しており、下位のヴァルナに位置づけられていたという。(なお、ギリシア悲劇は、『シャクンタラー姫』の800年以上前に多数書かれ劇場で上演されていたが、これは驚くべきことである。)
『シャクンタラー姫』は、短い導入部の序幕の後、七幕で構成されている。
第一幕 狩猟
第二幕 内証事
第三幕 恋の享楽
第四幕 シャクンタラーの門出
第五幕 シャクンタラーの否認
第六幕 シャクンタラーとの別居
第七幕 大団円
ドゥフシャンタ王と美しい娘シャクンタラーのラヴ・ストーリーが、格調高く展開される。ただ、メロドラマ的なものも流れており、格調の高さと通俗性が微妙に調和している。道化などの登場人物が物語の通俗性を強めている点は、興味深い。
ドゥフシャンタ王がシャクンタラーを見初める場面では、王は次のように歌う。
「木の皮衣 肩の辺の 細きゆいめに むすばれて まろき乳房の 高まりを
蔽いかくせば あやにくに 若さみなぎる この姿 (中略) 木の皮衣
きてさえも たぐいなよびし この乙女 (後略) 」(第一幕)
その後、シャクンタラーもまた、思いを書いて読む。
「君が心は 知らねども 君を慕いて 火と燃ゆる わが恋ごころ ひるに夜に
さしも知らじな 身をこがす 」(第三幕)
二人の関係は一時暗礁に乗り上げるが(第五幕・第六幕)、王がシャクンタラーに贈った指環に導かれながら、ハッピー・エンドで終わる。サンスクリット劇は、例外なくハッピー・エンドで、悲劇は書かれなかった。サンスクリット劇の目的は、神々と王を寿ぐことにあったからである。タイトルは『ドゥフシャンタ王』ではなく『シャクンタラー姫』であるが、原型となる「シャクンタラー物語」は『マハーバーラタ』にも含まれる、よく知られた物語であった。
バラモンの宮廷詩人カーリダーサは、もちろん、正統ヒンドゥー教の世界観の中で生きていた。『シャクンタラー姫』を読むと、苦行林のバラモンと王族(クシャトリヤ)との協調関係が非常によく理解できる。ヒンドゥー教では、人生の目的を三つあげている。「アルタ(実利)」、「ダルマ(宗教的義務)」、「カーマ(性愛)」である。この三つが、『シャクンタラー姫』では、バランスよく描かれていると言えるだろう。近現代劇のような深刻な葛藤は見られない。主人公たちにも葛藤はあるが、ヒンドゥー的世界に溶解していく。
しかし、それでも、シャクンタラー姫の可憐な姿や細やかな自然描写は、現代の私たちの心に残るのである。
1783年(プラッシーの戦いから26年後のことである)、一人のイギリス人がカルカッタでサンスクリット語を学び始めた。ウィリアム・ジョーンズである。ジョーンズこそは、イギリス東洋学の開拓者であり、サンスクリット語とギリシア語・ラテン語との類縁性を発見した人物であった。(ここから、インド=ヨーロッパ語という概念が成立した。)『シャクンタラー姫』は、1789年、このジョーンズによって英語に翻訳され、イギリスで出版れた。サンスクリット文学の、ヨーロッパへの初めての紹介であった。
歴史の皮肉だろうか? 残酷さだろうか? それとも奥深さだろうか? イギリス東インド会社によるインド支配が着々と進行していた時期に、イギリス人は『シャクンタラー姫』を知ることとなったのだった。すぐに、そのフランス語訳、ドイツ語訳が出版され、ゲーテはカーリダーサへの賛辞を書き記すことになる。
《参考文献》
カーリダーサ『シャクンタラー姫』(辻直四郎訳、岩波文庫)
山崎元一『古代インドの文明と社会』(中央公論社版世界の歴史3)
辛島昇監修『世界の歴史と文化・インド』(新潮社)
山崎利男『悠久のインド』(ビジュアル版世界の歴史4、講談社)
[つづく]