近世 ヨーロッパ 【<ルネサンス>の授業のために −新科目「世界史探究」に向けて−】

◇新学習指導要領の「解説」は発表されましたが、「世界史探究」がどんな科目になるのか、まだ具体的なイメージが湧きません。

◇「解説」は、とても3単位で行えるような内容ではありません。どのような教科書が作られていくのでしょうか? 現場での単位増はどの程度可能なのでしょうか? ほんとうに「探究」の名にふさわしい科目になっていくかどうか、注視しなければなりません。


■今回は、ルネサンスを例に「考える世界史の授業」にアプローチしてみます。

■現行の「世界史B」では、ルネサンスは大きく位置づけられています。しかし残念ながら、芸術家・作家・思想家・科学者の名と作品名を暗記させる授業になっている場合があります。

■「人文主義を教えながら、人文主義とは正反対の授業が行われている」という現実が、少なからずあるのです。

■ただ、人名と作品名の羅列から脱した授業を成立させるのは、容易なことではないと思います。

■以下では、人名と作品名の羅列から脱した授業を成立させるために、ルネサンスへの視点を五つあげてみます。

■授業時間の制約もありますので、すべてを取り上げて学習することはできないでしょうが、一つか二つ取り上げることは可能だと思います。また、視点を提示するだけでも、生徒たちの学習意欲を刺激することになるでしょう。

■視点の提示とは、生徒たちとの「問いの共有」にほかなりません。

■これらの視点をもとに、研究・発表・討論などができれば、「探究」にふさわしい授業になるでしょう。



ルネサンスをどうとらえるか】

1 中世との断絶か連続か

2 なぜ、古代ギリシア・ローマ文化が再生したのか

3 なぜ、古代ギリシア・ローマ文化とキリスト教が共存できたのか

4 人体への関心はどのように高まったのか

5 ルネサンス宗教改革はどのように関わったのか



【1〜5の授業での取り上げ方】

 今回は、要点のみ記します。


<1について>

 ◆指導する側は、山川と東書の教科書を比較してみるとよいと思います。生徒たちにも、教科書の本文を注意深く読ませることが大切です。

 ◆最近出版された、池上俊一フィレンツェ』(岩波新書)でも、重要なテーマとして取り上げていますので、参考になります。この本のキーワードは「歴史の重層性」ですが、これは2にも関係します。


<2について>

 ◆私の場合は、ローマ文化と中世ヨーロッパの関わりから入っています。その際のキーワードは「ラテン語文化」です。

 ◆次に、ラテン語文化の背景にあるギリシア文化に移ります。ここでは、ギリシア語文化圏(ビザンツ帝国)との交流、12世紀ルネサンスプラトン・アカデミー、新約聖書の言語などを取り上げます。


<3について>

 ◆このテーマは難しいのですが、避けては通れません。

 ◆共存・融合は、ダンテの『神曲』、モンテーニュの『エセー』などによく表れています。

 ◆新プラトン主義の役割について触れます。

 ◆ボッティチェリの「春」、ラファエロの「アテネの学堂」、ラファエロの墓などで、具体的に考えます。


<4について>

 ◆3とも関連しますが、古代ギリシアの「美についての考え方」を確認します。

 ◆ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロの「ダヴィデ像」・「最後の審判」などから、<裸体表現の進展>を考えます。

◆一方、レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖、ウェサリウスの『人体の構造』などを取り上げながら、<人体のしくみの探求>を理解します。


<5について>

 ◆レオ10世やサンピエトロ大聖堂の改築、活版印刷術などは、わかりやすい例です。

 ◆エラスムス、トマス・モア、モンテーニュなど、人物を通して具体的に考えます。これらの思想家を、ルネサンス宗教改革がクロスする、激動の歴史の中に位置づけます。

 ◆ルネサンスで盛んに描かれた聖母(子)像とプロテスタントのイコノクラスム(聖像破壊運動)を、比較しながら理解することが重要です。



■詳しい説明を省いていますので、わかりにくい点が多いかと思いますが、ルネサンスの授業の参考になればと思います。

近世 ヨーロッパ 【宗教改革期のイコノクラスム(聖像破壊運動)】

<世界史における聖像>
■聖像をめぐる問題は、単なる宗教史の枠を超える問題です。時には歴史を動かす大問題となりましたし、人々の心性や社会生活を考えるうえでもたいへん重要です。

■世界史の授業の中でも、聖像を取り上げることは大切です。たとえば、ユダヤ教キリスト教イスラーム教、仏教、ヒンドゥー教などを、聖像で比較しながら教えることは難しくありません。ひいては、それぞれの宗教の根幹に触れることにもなるでしょう。

■今回は、キリスト教を例に、聖像の授業のあり方を考えてみます。


<教科書における聖像禁止令、宗教改革

◇高校の世界史の教科書では(資料集も同じです)、8世紀前半のビザンツ帝国の聖像禁止令を大きく取り上げています。良心的な教員は、その際のイコノクラスム(聖像破壊運動)にも触れるでしょう。

◇ただ、9世紀半ばには聖像が承認されたことを、必ず伝えなければなりません。そうでないと、ギリシア正教におけるイコンの意義がわからなくなります。

◆一方、聖像の可否は、宗教改革期の重要な争点でした。

◆しかし、不思議なことに、宗教改革期のイコノクラスムについては、教科書では(資料集でも)、ほとんど触れられません。

プロテスタント側の多くが、マリア像だけでなくキリスト像の礼拝も、偶像崇拝として否定したことは、述べられません。当然、イコノクラスムは取り上げられないことになります。

◆また、キリスト像・マリア像の礼拝が偶像崇拝に当たらないとしたカトリック側の主張も、紹介されることはありません。

◆生徒たちは、カトリックプロテスタントの違いについて、十分に理解できないままになっています。

◆日本の世界史教育では、なぜか、宗教改革期の実相は伝えられていないのです。 


宗教改革期の実相を伝えるために>

■聖像をめぐる問題は、宗教改革期の授業のあり方を問うています。現行課程の授業でも、積極的に取り上げるべきでしょう。

■新課程では、たとえば「世界史探究」の教科書では、宗教改革の記述は改善されるでしょうか?(新課程についての議論が重要語句の削減に矮小化されてはなりません。)

■新課程の「考える世界史」に向け、教科書執筆者は、美術史の研究成果にも目配りしながら、広い視野で公正に宗教改革を記述してほしいと思います。

■教科書の宗教改革の叙述に、最低でも次の内容が盛り込まれるようになってほしいと願っています。

 ①聖像(キリスト像、マリア像)の可否が争点の一つになったこと。

 ②スイス、ドイツ、ネーデルラントなどでは、プロテスタント側の運動の一環として、イコノクラスム(聖像撤去を含む)が行われたこと。

 ③カトリック側はトリエント公会議で聖像の重要性を確認し、それがバロック美術につながったこと。


※参考文献

 ・永田諒一『宗教改革の真実』(講談社現代新書、2004)

 ・宮下規久朗『聖と俗』(岩波書店、2018)

 ・高橋裕子『西洋絵画の歴史2』(小学館ビジュアル新書、2016)

 ・藤原えりみ『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社、2010)

 

世界史 こんな「考える授業」をしてみました ⑧【絵画・航海日誌・音楽で考える大西洋奴隷貿易】

★今回は、「考える授業」のための「教材の工夫」がメインになっています。

★教科書と図表を使うことで精一杯の場合もあるかと思いますが、少し「教材の工夫」をすることで、生徒たちの取り組みが違ってきます。

★今回の授業は、絵画史料と世界史上の出来事を結びつけ、文字史料と音楽で考えを深めるというかたちをとっています。

★使用した絵画・航海日誌・音楽は、次の通りです。

 〇絵画:ターナー「奴隷船」(1840)
 〇奴隷船船長ジョン・ニュートンの「航海日誌」(1751)
 〇音楽:「アメイジング・グレイス」(歌詞、楽譜、CD)

 ※申し訳ありません。本ブログでは、画像は使用していません。

★「19世紀のイギリスの自由主義的改革」の最初の授業で行いました。

 ※学習したばかりの大西洋三角貿易を確認しながら、奴隷貿易の禁止(1807)と奴隷制廃止(1833)に重点をおいて理解するためです。

★今回の授業は、50分は必要です。考える時間のとり方、説明のし方によっては、60分以上かかるかも知れません。その場合は、【まとめ】を次時の最初に行います。

★授業の流れを、やや詳しく紹介してみます。


【導入】

◆「19世紀のイギリスの自由主義的改革」に入ることを話してから、ターナーの絵を提示します(タイトルは伏せています)。

 ※パワーポイントなどで提示するほか、各自に配布するプリントもあればいいと思います。

◆教師「これは、イギリスのターナーという画家が1840年に描いた絵です。(少し見てもらってから)なかなか印象的な絵なのですが、これはどんな様子を描いた絵だと思いますか? よく見て、考えてみてください。」

 ※生徒各自が考える、周りの生徒と話し合う、グループ単位で話し合うなど、方法はいくつかあります。

 ※10分ぐらい考えてもらった後、何人かに発表してもらいます。


【展開1】

◆教師「いろんな意見が出ましたね。なかなか鋭い見方もありました。もう少し考えを深めてもらうために、ヒントを出します。まず、この船は、漁船ではありません。もう少し考えてみてください。」

 ※数分後、二つ目のヒントを出します。
 
◆教師「じゃあ、二つ目のヒントです。これは、決定的なヒントですよ。この海は、バルト海とか北海とか地中海ではなくて、大西洋です。」

 ※、再び話し合いと発表をしてもらった後、絵のタイトルを教え、ターナーが『奴隷貿易廃止史』という本を読んで衝撃受け、描いたことを説明します。

 ※既習の大西洋三角貿易の概略を確認します。

◆教師「もう一度絵に戻ります。さっき発表にもありましたが、ここに描かれているのは、人間の足ですね。魚が集まってきています。それから、こっちも見てください、ちょっとわかりにくいんですが、海面に手が出ていますね。これはどういうことなんでしょう? (間をおいて)これは、嵐のため間違って船から落ちた人ではないんです。どういう状態の人だと思いますか? 奴隷貿易ですからね。」

 ※意見を出してもらった後、航海の途中(約40日間)、死んだ奴隷は海に捨てられたこと、船長によっては弱った奴隷も捨てたことを話します。


【展開2】

◆史料(ジョン・ニュートンの航海日誌)を配布します。解説を加え、奴隷船の実態を知ってもらいます。

 ※次のような資料です。実際に配布するのは、もう少し詳しいものです。

  「5月23日木曜日 男の奴隷死す(第34番)
   5月29日水曜日 少年の奴隷、赤痢で死す(第86番)」

 ※ジョン・ニュートンの航海日誌は、『世界の教科書シリーズ34 イギリスの歴史(イギリス中学校歴史教科書)』[明石書店]から使わせていただいています。


【まとめ】

◆教師『最後に、ある歌を紹介します。みなさん、聞いたことがあると思います。とても有名な曲ですから。聞いてもらう前に、ちょっと説明しますね。歌詞を書いたのは、ジョン・ニュートンという人です。そうです。さっきの航海日誌を書いた奴隷船船長です。彼は、若い頃、奴隷を運ぶという仕事をしていました。そのことを後悔して書いた詩です。自分の今までの人生を悔いて、牧師になる修行をしていた時に書いたそうです。18世紀の後半のことです。メロディーの由来は、はっきりわかっていません。イングランド民謡か、スコットランド民謡かも知れません。その曲とは……、誰かわかりますか? ……その曲とは、「アメイジング・グレイス」です。』

 ※楽譜と歌詞(対訳)を配布します。歌詞を読んでもらった後、CDを聞きます。今回は、イギリスの歌手サラ・ブライトマンの歌で聞いてもらいました。

奴隷貿易の禁止(1807)を取り上げ、ウィルバーフォースが尽力したこと、「アメイジング・グレイス」も間接的に影響したことを説明します。また、奴隷制そのものの廃止はやや遅れたこと(1833)を話します。このような改革の後に、ターナーの絵が描かれたことを付け加え、授業を終了します。

◆私は行いませんでしたが、生徒たちに感想をまとめてもらうことも必要かも知れません。


☆「イギリスの自由主義的改革」の授業では、審査法廃止から入ることが多いと思います。奴隷貿易の禁止を取り上げる方は、少ないかも知れません。しかし、これはきわめて重要な改革です。また、この歴史をきちんと踏まえないと、アメリカ合衆国の19世紀も理解が不十分になります。

 

★ロシア革命とは何だったのか<4つ見方と池田嘉郎『ロシア革命』>

◆昨年(2017年)は、ロシア革命からちょうど100年という年でした。

◆日本では(世界でも?)、それほど大きくは取り上げられなかったと思います。新聞紙上では、10月に若干の特集記事が見られました。雑誌では「現代思想」が、力の入った特集を10月号で組んでいました。

◆いま、ロシア革命をどう見たらいいのでしょうか?

ロシア革命の見方について、私なりに整理してみました(素人の覚え書き程度のものですが)。

ロシア革命に対する見方は、現在まで大きく4つあったのではないかと考えています。


ロシア革命への4つの見方

 A 平等な社会を目指した、史上初の社会主義革命として、高く評価する。

 B 自由な経済活動を前提とする資本主義の擁護の立場から、否定的にとらえる。

 C 十月革命を高く評価しながら、スターリンなどによって社会主義が変質させられたとする。

 D レーニンをも相対化しつつ、自由や民主主義の観点から、批判的にとらえ返す。

  ① 十月革命〜戦時共産主義の時期から専制が始まったとする。

  ② 二月革命から臨時政府の時期を詳しく検討し、現代的な課題を明らかにする。


4つの見方を検討してみると

ロシア革命の評価は、戦間期〜冷戦期を中心に、大きくAとBに分かれました。

◆ただ冷戦期から、Cの見方もしだいに広がっていきました。きっかけは、1956年の、フルシチョフによるスターリン批判でした。トロツキーも、当然ですが、典型的なCの見方です。

スターリンによる大粛清が明らかになり、ハンガリー事件(1956)、チェコ事件(1968)などを目の当たりにした人々から、D①の見方が出てきたと思います。たとえば、松田道雄編『ドキュメント現代史1 ロシア革命』(平凡社、1972)は、そのような見方で編集されていました。今となっては、貴重な資料集です。

◆D②は、昨年出版された、池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書)に代表される見方です。

◆C・Dの見方には、「全体主義」論も影響を与えたと思われます。ファシズムスターリン体制を同質とする見方で、ハンナ・アーレントがこの見方を代表しています。

◆東欧社会主義圏の崩壊(1989)、ソ連の解体(1991)という歴史的な出来事の後、AやCの見方は後景に退きました。それに伴い、Bも特に主張されなくなりました。

◆現在は、さまざまのヴァリエーションを持ちながらも、Dの見方が一般的なのだと思います。


池田嘉郎『ロシア革命』について

◆池田嘉郎の『ロシア革命』は、とても参考になりました。ただ、釈然としないものが、読後に残りました。

◆従来の本とは違い、二月革命後の臨時政府に焦点を当てています。ボリシェヴィキ中心のロシア革命史からは完全に脱しています。しかし、レーニンの位置づけは、あの程度でいいのでしょうか? 揶揄的な人物評も、気になりました。

◆カデットとその周辺の人たち、ケレンスキーなどはよく描かれています。この点が新しいのですが、それが弱点にもなっていると思います。ロシア革命の全体像を描くというよりも、臨時政府に関わった人々を哀悼する本になってしまったような気がするのです。

◆残念ながら、叙述の中から、当時の労働者や農民のすがたが浮かび上がってくることはありませんでした。このことは、ロシア革命史としては、致命的なように思われます。

◆意外なことに、日本では、一般向けのしっかりしたロシア革命本がほとんどありません。池田嘉郎とは別の視点からの、良質なロシア革命概説書が出版されることを望んだいます。

世界史 こんな「考える授業」をしてみました ⑦【「インド=ヨーロッパ語」とイギリスのインド進出】

■毎年、オリエントの授業で、予備校の生徒たち(浪人生)に尋ねています。

 「インド=ヨーロッパ語系っていう語が出てきた時、なんか変な感じしなかった?」

 年度によって多少違いますが、3分の2の生徒は「変な感じがした」ということでした。

 「何が変だと思ったの?」ときいてみます。

 ある生徒は、「インドとヨーロッパが結びついてるのが……」と答えました。

 何も感じなかったという生徒たちも、「そういえば、そうだな」という顔をしていました。

■授業のスピードが速いためもあるのでしょう、率直な「変な感じ」は忘れられていきます。

■しかし、この「変な感じ」は大切です。授業では、高校の時の「変な感じ」を思い出してもらいながら、「なぜインド=ヨーロッパ語という言葉が生まれたのか」を考えています。


【問】

 「どうして、インドという語とヨーロッパという語が結びついて、一つの語になったのでしょう?」

 ◆こういう問いに慣れていない生徒たちは、戸惑います。

 ◆そこで、ヒントを出します。

 「じゃ、ヒントを出します。そこには、イギリスが関係しています。イギリスが、イギリス人が関係して、この語が生まれました。」

 ◆考える時間をとります。年度によって答えが出ない時もありますが、おおむね生徒たちは今までの知識を動員しながら答えを出そうとします。

 ◆「イギリスによるインド支配と関係があるみたい」というところまで考えられれば、解説に入っています。


【解答例と解説】

 ◆解答例の提示と解説は、上記の問いに続けて行った年と、疑問を大切に残したまま「イギリスによるインドの植民地化」で行った年があります。どちらがいいかは難しいのですが、後者のほうがベターかなと思っています。

 ◇解答例◇

 ≪プラッシーの戦い(1757)以降、イギリス(東インド会社)による植民地化が本格的に始まり、多くのイギリス人がインドへ赴いた。その中で、裁判所の判事として赴任したウィリアム=ジョーンズが、サンスクリット語とヨーロッパ諸語との共通性を発見した。18世紀末のことである。そこから、インド=ヨーロッパ語という概念が成立していった。≫

 ◆以上のことを理解してもらうために、サンスクリット語とヨーロッパ諸語の共通性がわかるプリントを用意しています。

 ◆プリントは、山崎利夫『悠久のインド』[ビジュアル版世界の歴史4、講談社]の41ページをもとに作らせていただいています。少し古い本ですが、インド=ヨーロッパ語という語をつくり出したウィリアム=ジョーンズについて、適切な説明が載っています。(図書館にはありますので、ぜひご覧ください。)

 ◆ウィリアム=ジョーンズがカルカッタサンスクリット語を学び始めたのは、1783年のことでした。授業では、マイソール戦争やマラーター戦争の頃であったことを知らせています。それにしても、イギリス人の知的関心の旺盛さには、驚かされます。

 ◆「植民地化の中での比較言語学の誕生」でこのテーマをまとめています。植民地化を肯定しないように気を付けながら、歴史の多面性を知ってもらうように努めています。

 ◆なお、カーリダーサの『シャクンタラー』を初めて英訳したのも、ウィリアム=ジョーンズです。

世界史 こんな「考える授業」をしてみました⑥【三権分立:生徒たちの誤解を解く】

◆18世紀のフランス啓蒙思想は、フランス革命アメリカ独立革命を考えるうえでも、近現代の民主政治を考えるうえでも、大変重要です。

◆授業では、モンテスキュー三権分立論に一定の時間を割くようにしています。

◆10数年前、三権分立についての生徒たちの理解がきわめて不十分であることが分かって、愕然としたからです。


■まず三権とは何かを確認してから(この段階で躓く生徒も少なくありません)、次のような質問をすることにしています。


【問1】三権の「権」とは、何のことですか? 立法権・行政権・司法権の「権」とは、何のことですか?


★驚くのは、多くの生徒が、この場合の「権」を「権利」だと思っていることです。「権力」と答えられる生徒は、2〜3割でしょうか。「権力分立」という考え方が理解されていないのでした。

★したがって、現在の政治制度が歴史の中で形成されてきたことも、理解されてはいません。「公民」と「歴史」は分断されたまま、それぞれの領域で語の暗記が優先されてきた、と言っていいでしょう。

★この状況は、この10数年間変わっていません。日本の社会科教育、地歴・公民科教育の脆弱性を痛感させられています。

★なお、議会と立法権を結びつけられない生徒も、少なくありません。議院内閣制という日本のしくみ(あるいは行政権が大きくなっている現状)が、理解をあいまいにしている一因かも知れません。

★ただ、この点を明確に説明しておかないと、アメリカ合衆国憲法が理解できなくなります。


■三つの権力の相互チェックを説明した後、まとめの問いに移ります。肝心のところですので、生徒たちにはよく考えてもらいます。


【問2】モンテスキューは、どうして三権分立が必要だと考えたのですか?

三権分立は「王権の制限」という考え方から生まれたこと、「権力の集中と濫用を防ぐしくみ、独裁を防ぐしくみ」として世界中に広まってきたこと、以上を確認します。


■最後に、「啓蒙思想フランス革命」と題したプリントを配ります。プリントは、モンテスキュー、ルソー、理性の光、共和国の女性像を扱ったものです。(ルソー以下は、あとの授業で取り上げます。)

■プリントに載せた『法の精神』の次の一節を読んで、三権分立論の理解を共有します。

 <もし同一の人間(あるいは執政者)が、三つの権力、すなわち法律を定める権力、公共の決定を実行する権力、罪や私人間の係争を裁く権力を行使するならば、すべては失われるであろう。>

世界史 こんな「考える授業」をしてみました⑤【もっとラテンアメリカを知る】

ラテンアメリカについては、教科書で扱われているページ数は多くありません。センター試験でも出題は限られています。

◆生徒たちも教員も、ナスカやマチュピチュなどの遺跡には関心がありますが、ラテンアメリカの歴史全体への関心は高くありません。

◆「ヨーロッパ中心史観」からの脱却を主張する方々も、アジア史や中央ユーラシア史は重視するものの、なぜかラテンアメリカ史まで視野が及ばないようです。

◆このような現状ですから、日本からのラテンアメリカへの移民の歴史も等閑視されてしまいます(ハワイや北米への移民もきちんと取り上げられているわけではありませんが)。

◆私自身は、ラテンアメリカの歴史をできるだけていねいに扱おうと努力してきました。その試みの一つが、今回の授業です。

大航海時代のスペイン人などの「進出」に関わっての授業です。


★まず、基本的な用語の確認です。

【問1】「コロンブスの誤解から、先住民は、スペイン語でなんと呼ばれましたか?」

☆複数の学校での経験ですが、多くの生徒たちが「インディアン」と答えるので、驚いています。スペイン語に関心がないのはやむをえませんけれど、−an が英語であるという感覚が、残念ながらないようです。

☆山川の「詳説世界史B」では、インディアンとインディオはただ並列されているだけですので、アルファベットで板書して説明しておく必要があります。

☆なお授業では、この段階で「ネイティヴ・アメリカン」まで触れています。

   ⇓

★ここから、南北アメリカを大きくとらえる講義に移ります。この概説が非常に重要だと、最近は考えています。

【講義:南北アメリカの3区分】

 ① 現在のアメリカ合衆国、カナダ
 ② メキシコ〜チリ・アルゼンチン
 ③ カリブ海地域

☆①では「北アメリカ」という表現を使っていません。地理的には、メキシコも北アメリカに含まれるからです。(したがって、「北米自由貿易協定」にメキシコが入っているわけです。)

☆同じく①では、「アングロアメリカ」という語も使っていません。

☆②の説明で、この地域をまとめて「ラテンアメリカ」と呼ぶことを伝えます。

☆③を独立した地域区分にしています。「進出」した諸国の多様性からです。

☆イギリスのBBCのサイトでも、「ラテンアメリカとカリブ地域」という区分をしています。

☆このあと、①〜③にどんな国々が「進出」したかを説明しておきます。今後の授業展開上、欠かせない説明になります。

   ⇓

★重要な問いに移り、生徒たちに考えてもらいます。

【問2】「メキシコ〜チリ・アルゼンチンを、どうしてラテンアメリカと呼ぶのでしょう? (少し間をおいて)どうして<ラテン>をつけているのでしょう?」

☆多くの生徒たちは戸惑うと思いますが、まずは、スペイン人・ポルトガル人が「進出」した地域であることを確認します。

☆その上で、いろいろなヒントを出していいと思います。

☆ただ、スペイン人・ポルトガル人の言語・民族の系統に思い当たるというのはかなり高度です。語族の一覧を見せて考えさせればいいと思います。

★答は、「スペイン人・ポルトガル人というラテン系の民族の影響を強く受けた地域だから」となります。

☆やや錯綜した印象を与えるかも知れませんが、ここでスペイン・ポルトガルカトリック国であることを話しておきます。ラス=カサスを理解する上で必要なだけでなく、宗教改革の授業の伏線になります。